・いかにして市民は「洗脳」されたのか?
と、いうことで、ここからはこの「港町ヨコハマ幻想」が市民の頭の中にいかにして作られていったのかを検討していきたいと思います。
・横浜市民を生み出す装置①「横浜市歌」
都道府県や市町村などの自治体は「都道府県歌」「市町村歌」を持っていることが多いのですが、われらが横浜にも「横浜市歌」があります。1909年の横浜港の開港50周年を記念して制定され、なんとかの有名な森鴎外が作詞を担当した、由緒正しき(?)1曲です。
通常、都道府県歌も市町村歌も行政にかかわる式典や行事、庁舎内での利用等に利用されるにとどまり、住民が接する機会はあまりないようです。それゆえ認知度も低く、例えば静岡市の「わたしの街静岡」認知度は37%、川崎市の「川崎市歌」認知度なんて14%にすぎません。こりゃもうきっと、歌える人なんて公務員か当の作曲家くらいのものでしょう。(偏見)
しかしですね、ここに「歌える率」がものすごい自治体があります。そう、何を隠そうヨコハマです。横浜市民の横浜市歌歌える率、聞いてください、なんと驚異の72%(「はまれぽ.com」調べ)。
これは認知率じゃありません。「歌える人」が7割なんです。これは全国的に見ても異常と言っていい数字でしょう。なぜこんな奇跡が起こるのか。
答えはカンタン、「横浜市歌」の履修は義務教育の中に組み込まれているんです。
『横浜版学習指導要領』の「音楽科編」を参照してみると、「横浜市歌が広く市民に歌われていることや、歌詞に込められた歴史や横浜の発展を願う人々の思いを理解して、歌うようにします。」という文言があり、「音楽」のカリキュラム内で「横浜市歌」を取り扱うことが指示されているんです。わたしも小学校で毎年習いました。
また、行事の際にも「市歌」を歌うことになっています。横浜市立大岡小学校の例を見てみると、1年間に前期始業式・入学式、開港記念集会、前期終業式、後期始業式、卒業式・修了式と合計7回「横浜市歌」を歌っています。小学校の6年間を通しては42回、さらに練習を含めれば2、3倍は歌います。中学校でも扱われるため、横浜市立の中学校に進んだ場合、さらにその後3年間継続して歌うわけです。このように義務教育課程で何度も歌わされるため、われわれ市民の意識に大きな影響をもたらすこと間違いありません。市立学校に通う生徒にとっては「君が代」よりも「横浜市歌」を歌う機会の方が多いんですから。
では、その影響力絶大な「横浜市歌」とはどのような歌なのか、その歌詞を見ていきましょう。
横浜市歌
曲:南能衛
詞:森鴎外
わが日の本は島国よ
朝日かがよう海に
連りそばだつ島々なれば
あらゆる国より舟こそ通え
されば港の数多かれど
この横浜にまさるあらめや
むかし思えば とま屋の煙
ちらりほらりと立てりしところ
今はもも舟もも千舟
泊るところぞ見よや
果なく栄えて行くらんみ代を
飾る宝も入りくる港
開港からあまり時期の経っていない時期に作られたこともあり、世界中から船が行き来し、貿易港としても優位性のあった当時のことを歌った内容となっています。
注目したいのは、「横浜”市”歌」とはいいつつも「横浜”港”歌」であると言えるほどに「横浜港」を中心に描いた歌であるということです。当然キャベツ畑は一ミリも出てきませんね。
ですが、これを日々歌わされる子供たちとしては、タイトルが「横浜市歌」なんですから「これは横浜”市”についての歌なのだ」、つまり「横浜市は港町なのだ」と受け取ることになります。このようにして、「中区」という市の一部にすぎない地域が、「横浜市歌」という装置を通してまんまと横浜市域全体にまでそのイメージを拡張するのです。